2001年2月に発売された二眼レフのローライ人気の
の中でもローライフレックス2.8F
上下に並んだ二つのレンズ
絞りダイヤル、シャッターダイヤルシャッターボタン
が配置されたフロントフェース。
ワンタッチで立ち上がるフォーカシングフード

ボディー番号は「No.F00026」

ローライフレックス 2.8f モデル

AF多機能一眼レフ全盛の今も根強いファンを持つローライフレックス。その誕生は1920年ドイツの名門カメラ、レンズ
メーカー、フォクトレンダー/ウント・ゾーン社から独立した営業担当パウル・フランケ、技術担当ラインホルト・ハイデッケ
はフランケ・ウント。ハイデッケ社を創立する。ステレオカメラから撮影レンズを一つ取り除いたモノカメラにたどりつく。
二眼レフという新しいジャンルを築いた新型カメラはロールフィルムを使うレフレックスつまり「ローライフレックス」と
名づけられ1929年に発売された。高精度なアルミダイキャストボディー、カールツアイスレンズ、コンパーシャッターと
いうハイスペックの撮影力は多くのカメラマンを魅了しわずか3年の間に18万台が生産された。

B−シャラン 漆バージョン 
2004年2月に発売された漆シャラン
会津の坂本商店とのコラボレーション
33個の限定発売

ボディー番号はなんと「01/33」

老舗カールツアイスの意向により新生ツアイスイコンが世に送り出したライカへの
アンチテーゼ。徹頭徹尾ライカと同じになることを避けて誕生したコンタックスT型。
直線を基調にしたシンプルなスタイル。ライカに似ないことへの徹底的なこだわりが
デザインににじみ出ている。
コンタックス T型 モデル
2001年711月に発売されたコンタックスT型モデル
ボディー全面のレンズ脇という特徴的な場所に
設けられたっフィルム巻き上げノブの機能まで再現。

ボディー番号は「No.K00009」


お宝 No.002

国産初の一眼レフカメラを生んだ旭光学。その黄金期を築いたアサヒペンタックSP.
1960年のフォトキナで好評を博した画期的なスポットマティックをベースに当時では
先進のTTL測光方式を実現し搭載。その一方だはそんなハイスペックの搭載を感じ
させないシンプルでオーソドックスなスタイルを採用している。独自のペンタプリズム
装備の軍幹部やフィルム巻き上げレバーの美しいライン。1964年から10年以上も生産
されたロングセラー。
2001年7月に発売されたアサヒペンタックスSPモデル

ボディー番号は「No.J00029」

アサヒペンタックスSP モデル
2002年7月に発売されたオリンパスぺンFモデル
妥協を許さないデザインへのこだわり遊び心あふれる
ポップアップ収納式ファインダーまで再現。

ボディー番号はなんと「No.O−0001」

オリンパスペンF モデル
一眼レフなのにペンタプリズムがない。一眼レフなのに全面のファインダー窓がない。
きわめてシンプルなデザインが魅力のハーフサイズ史上初の一眼レフカメラ。
いまだに不世出のデザインと評されあまたの熱烈なファンが存在する。
秘蔵 クラシックシャラン 9点セット

不世出の傑作ライカM3に真っ向から勝負を挑んだニコンの意欲作「SP」。
それまで蓄えてきた技術の集大成ともいえるこのモデルは
世界でも高い評価をうけ1958年ブリュッセル万博ではグランプリを受賞。
この栄誉あるSPの端正な表情をミニチュア化された。
プロフェッショナルを表す「P」の文字を与えられたSシリーズ最高級モデル。
ニコンSP モデル
2002年6月に発売されたニコンSPモデル。
ボディー番号は「No.Q01234」


シャランヒストリーカードWがプレゼントされた
ボディー番号は「056/100」
ニコンSP ブラック モデル
2003年10月27日〜2004年2月28日まで期間限定
生産され11月に発売されたニコンSPブラックモデル。
ボディー番号はなんと「No.R00001」

古木製飾棚の9か所すべてに台座があり
シャランはネジで固定される。
写真左のように
台座ごと取り出して手元で鑑賞できる。






 1、000,000円(税込)  

ドイツ空軍の偵察機で採用された。自動巻きで飛行機を操縦しながら片手でシャッター
が切れる。ファインダーは90度回転し横の撮影ができるユニークな機能とデザイン。
ロボット社は日本の技術力を見抜き早々に民生カメラから撤退し、高速シャッターを武器
に警察の取り締まりカメラに特化し堂々と生き残っている。。
2003年2月に発売されたロボットT型モデル。

ボディー番号はなんと「No.P0001」

ロボット T型 モデル
ニコンF物語:第一次世界大戦中の1917年、日本光学工業は産声を上げた。1921年にはカメラ先進国ドイツから光学
技術者を招いてそのノウハウを学び1932年に35ミリカメラ用レンズを、さらに1935年には5pF3.5ニッコールレン
ズを誕生させた。それから13年後の3月ニコンT型を発売,以降Sシリーズと呼ばれる製品を発表していく。それから
2年後ニコンの名を世界に広めた出来事が起こる。アメリカライフ誌の有名なカメラマン、デビット・ダグラス・ダンカン
は来日中のある日、ニッコール付きライカVfで自身のポートレートを撮影された。その六つ切り判のシャープさに驚
彼は早速日本光学を訪れた。ダンカンは2台のライカと2本のニッコールレンズを持って朝鮮戦争に従軍、第一報がNY
本社に送られた。ライフ誌はその写真を見るなり「4×5判での撮影可否か」の確認をとりすぐにニコン20台を発注し
たという。そして1954年ライカが従来機の改良ではなくバルナックタイプの課題を一挙に解決したM3を発表。日本
のカメラメーカーはやむなく一眼レフの商品化に拍車をかけた。その5年後1959年にニコンが満を持して発表したの
が「」である。ニコンSPをベースにした「」は堅牢なボディーと高い信頼性、そして豊富な交換レンズによって
世界のフォトジャーナリスムの世界を席巻。1964年の東京オリンピックでは報道カメラマン席には「」&望遠レンズの
砲列が敷かれたほど。その後も報道の第一線の現場で多くのカメラマンに愛用されその信頼性を実証した。

ニコンFは1959年3月に新
聞発表され4月に東京を皮切りに各地で盛大な発表会が開催された。1959年は昭和34年
、その4月10日皇太子さまご成婚の儀が行われた。午後2時からの朝身の儀の後、皇太子、皇太子妃は馬車で東宮仮
御所に向かわれた。6頭立ての御料儀装馬車の行列は皇居前広場から半蔵門、四谷、明治神宮外苑まえまで延々と続
いた。そのパレードの様子はテレビ中継され視聴者1,500万人と言われテレビ普及の転機となった。
2000年4月に発売されたニコンFモデルを改良し
2001年3月にニコンF・EXが発売されたが製造期間は短く
したがって数量も少なく稀少なモデルという事実は
シャランが初めて明らかにする。

さらにボディー番号は「No.H00005」

ニコンF・EXモデル